近世日本の武家社会における儒学受容とその「学問」化過程

歴史研究って?

 総合政策学部で歴史研究をすることに何の意味があるのか?そう思われる方もおられるかもしれません。
 歴史学という学問を通して考えることで、我々一人一人が過ごす人生より長いスパンで物事を捉えることができます。また、何か起こったときに人々はどのようなことを考え、どのような行動を起こしたか、それを考えるのが私の専門である思想史です。我々人間は、自分が経験したことでないと実感できないとよく言われます。ただ、自分一人の経験値は限られたものです。そういった中で、自分が過ごした時代以外のことや、長い期間の出来事を追体験できるのが歴史学であると私は考えています。
 例えば、ある政策が世の中に浸透するには少なくとも数年、あるいはもっと長い期間がかかっていることもあります。私たちの身の回りで起こっている変化を、現代のこの忙しい世の中ではどれほど時代の流れに沿って見ていられるでしょうか。それを可能にするのが歴史研究です。

なぜ近世日本の儒学受容なのか?

 では、その中でなぜ近世日本の儒学なのかという疑問も出てくるでしょう。
 日本において近世は、あらゆる階層が初めて「教育」を受けた時代、教育対象が一気に広がった時代です。その時代に外来思想としての儒教が、儒学または漢学として広く教育に取り入れられていきました。その代表的な例が武家社会における藩校であり、この藩校は現代の中等・高等教育(高等学校や大学)につながっているものが数多く存在します。したがって、藩校は現代の教育の根本の一つと考えることができます。
 ですから、私はこの近世日本の儒学がどのように教育として武家社会の中に取り入れられたか、つまり「外来思想である儒学の最初のインパクトがどのように日本社会に浸透し、『学問』化したか」について研究を行っています。

改めて、総合政策学部で歴史研究を行なうということ

 価値観が多様化している現代社会においては、従来ならば「学問」とは捉えられてこなかったものが時代のニーズに応じて「学問」へと昇華しています。「学問」は、はじめから「学問」であったのではなく、社会の中で見直され、価値付けられ、成り立っていくものです。近代においても学校教育の学習内容が、近世期まで身分や職業に応じて自分に必要な学習のみを行ってきた一般の人々に学習内容として認められるまでにはかなり時間がかかっています。
 このように、人間社会は長い歴史の中で、制度も思想も文化も大きく変化しています。ただ、表面上は変化していても、その中で無くしてはならない意味、そのエッセンスは引き継がれています。「教育」一つをとってもそうです。「無くしてはならない意味、そのエッセンス」を過去から学び、未来にどうつないでいくかを考えること、それこそが総合政策学部で歴史を研究する意味だと私は考えています。

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