近代日本の捕虜言説についての研究

捕虜言説とは

 私は近代日本の捕虜言説について研究しています。近代日本というのは、明治・大正・昭和のことです。捕虜とは、この場合、戦争の時に敵に捕まってしまった兵士のことを言います。捕虜言説とは、その捕虜について語った法律や文学や報道、さらには映画や歌などのことばのことです。

 明治以降の日本人は捕虜のことについてどのように語って来たのかについて考えることで、<日本>という国の構築のメカニズムや<日本人の国民意識(ナショナル・アイデンティティ)>などについて考えることができると思っています。

「生きて虜囚の辱を受けず」

 戦争で敵に捕まった捕虜を国や軍はどのように扱うでしょうか。例えばアメリカは徹底的にその捕虜を救おうとします。そうすることで兵士とその家族、ひいては国民に「アメリカは絶対に兵士を見捨てない」とアピールするのです。兵士たちはたとえ捕虜になっても自分の国アメリカは自分を助けてくれると考え、安心して敵と戦うことが出来るのです。

 反対に、アジア・太平洋戦争敗戦までの日本は、いわゆる無捕虜主義を掲げていました。1941(昭和16)年、当時の日本陸軍で「戦陣訓」というものが発表され、そのなかに「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」という有名な言説が書かれていました。これは「いかなる理由があるにせよ、捕虜になることは断じて許されない、もし捕虜になったら自決しなければならない」という意味です。日本軍兵士は自決のために手榴弾を一つずつ持たされていて、実際にたくさんの兵士たちが死んでいきました。

 しかし、この無捕虜主義は、単に「捕虜になったら死ななければならない」ということを兵士に強制するためだけのものではなかったと私は考えています。戦争をすれば必ず捕虜は出ます。その捕虜に対して「それは恥辱であり、自決せよ」と言うのは、国が国民に向けて、安心して差別したり、排除したりすることのできる者を作り出すことによって、その他の人たちに「自分は日本から排除されることのない国民である」という意識を持たせるためであると考えられます。私はそういうことを「『戦陣訓』論―――その1・閉じられたことばの世界―――」(「四日市大学論集」第33巻第2号・2021年3月)で述べました。

 この「戦陣訓」には日本の「伝統的」な武士道の精神と、それに直結していると考えられていた「日本精神」が、ある思想的な飛躍をもって流れ込んでいます。そして国民を戦争に駆り立てたのです。私はその思想的な道筋を「井上哲次郎における武士道と捕虜」(「四日市大学論集」第34巻第2号・2022年3月)という論文で考えてみました。

「戦陣訓」キャンペーン

 この「戦陣訓」は、日中戦争が泥沼化し、そしていよいよアメリカを敵に回して太平洋戦争に突入しようという時期に出されたものです。当時の日本が国の総力を挙げてアジアの国々や欧米の国々と戦争を戦い抜こうとしていた時期ということです。無捕虜主義はそのために出されたものでした。直接は陸軍の兵士たちに示されたものでしたが、一般国民にも映画や文学作品や音楽、漫画や百貨店のイベントまでも動員して一大キャンペーンが展開されました。こうして当時の日本国民は老若男女を問わず、あらためて「戦陣訓」を通じて「日本精神」を叩きこまれ、その無捕虜主義は全国民をしばりあげていったのです。

中島敦「李陵」

 しかし、そんな中で、目立たないかたちで(というのは、日本全国民を挙げて戦争に突き進んでいる時代に大きな声でそれに逆行するようなことはなかなか言えなかったからです)無捕虜主義に対する反対の考え方を明らかにする作家もいました。例えば中島敦という作家がいました。国語の教科書に「山月記」という、詩人になり損ねて虎になってしまった男の話が載っていると思いますが、それを書いた人です。彼に「李陵」という作品があります。中国古代の漢の国の武将である李陵という人が敵の匈奴に捕まって捕虜になってしまいます。つまり、この「李陵」という小説は捕虜になってしまった男の物語なのです。彼は漢の皇帝、武帝に忠誠を誓っていましたが、自分が捕虜になって匈奴で生きていることを理由に武帝に家族を皆殺しにされてしまいます。それがきっかけとなって敵であったはずの匈奴の将軍となり、今度は漢に敵対していくのです。中島はこの話を通して、無捕虜主義に対する批判を試みているのです。

大岡昇平「俘虜記」

 また、作家の中には、実際に捕虜になったという体験を持っている人がいました。その代表が大岡昇平です。彼は太平洋戦争の時にフィリピンのミンドロ島というところでアメリカ軍の捕虜になりました。捕虜収容所に入れられて、戦後日本に帰ってきますが、その時の体験を書いたのが、1948(昭和23)の「俘虜記」です。

 大岡は、この「俘虜記」で文壇に登場するのですが、「戦陣訓」の無捕虜主義から言えば、当然その場で自決しなければならなかったところでしょう。日本という国から「死ぬべき存在」であると規定されていたのですから。大岡昇平の文学は「自分は捕虜になった男だ」という意識から出発しているのだということが出来ます。

おわりに

 私はもともと文学の研究者なので、研究の対象が文学にかたよってしまいますが、捕虜言説は文学だけではありません。映画や音楽も捕虜について語っています。できるだけそういうものも含めてこのテーマに取り組んでいきたいと思っています。

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